ピストリウス
毎日暑苦しい日が続いてますね。
うさぎはこの頃、オリンピックの番組を遅くまで見てしまうので、翌日眠くて仕方がありません。
テレビ見てても金メダル確実とか言われた選手が取れなかったりすると、気持ちがちょっと消化不良気味になります。
その反面、前評判はそんなでもなかった若手が活躍したりすると、希望というか目の前がちょっと開けてきたように感じて嬉しくなります。
そんなオリンピックなのですが、昨日の新聞に載ってた写真を見て、うさぎは軽い衝撃を受けました。
その記事がこれなんです。全国紙に載ってた記事なので、目にした方も多いのではないかと思います。
名前は、オスカー・ピストリウス。陸上男子400メートル競走の選手です。
南アフリカの選手で、4日にあった予選を2着で通過して、準決勝に進出したと書いてありました。
新聞を開いて、この写真が目に飛び込んできた時、うさぎは本当にビックリしました。
えっ!!
って、写真に目が釘付けになってしまったんです。
彼は、膝から下の腓骨(ひこつ)が無い体で生まれてきたそうです。
生後11ヶ月の時に手術で膝下を切断したということでした。
パラリンピックというものがあって、障がいを持っている選手が競う「オリンピック」があるのは知っています。
でも、彼はパラリンピックではなくて、健常者と一緒にオリンピックの選手として出場しているんです。
足にカーボン線維でできたブレードを着けた選手の出場を認めるかどうかでは、未だに賛否両論があるそうです。
国際陸上競技連盟の規定には、「他選手より有利になる人工装置の使用を禁じる」という項目があるのです。
この規定を根拠に、出場を禁じられた彼はスポーツ仲裁裁判所に申し立てました。
裁判所は、「義足が有利に働くという証明がない」として彼の主張を認め、健常者と一緒に走れることになったのです。
新聞記事によれば、今でもなお賛否両論があって万人が納得するには至ってないようです。
曰く
「これはスポーツのルールの問題。影響が何もないと証明されていない以上、走るべきではない」
「義足を着けても、誰もが速く走れるわけじゃない。ピストリウス選手は称賛の対象であるべきだ」
「義足は道具。決して人間の足の能力を超えない。」
「義足のバネがどれほど有利に働いているのか証明できない以上、義足での参加が公平とは言えない」
などなど
あなたならどう思いますか?
どうやら論点は、「公平性」という所にあるようです。
速く走れるように作りこんだシューズなどと違って、この義足は視覚的に分かり易いのでしょう。
野球で言う「飛ぶボール」、ちょっと前には競泳の水着を巡っても議論になりましたね。
健常者同士でさえ、道具の優劣が勝敗を決することがあるのです。
人間の身体的能力を競い合うオリンピックですから、「公平性」の確保は大切なことです。
でも、「公平性」って何でしょう?
勿論、ドーピングだけでなく、人工物によって勝敗が左右されるのはフェアではありません。
ですが、障がいの状態や程度は千差万別で、装具の能力を客観的に評価して、その根拠を証明することは難しいのではないでしょうか。
オリンピックは健常者のものだ。
そう言っているようにも聞こえます。
どんな競技であれ、ハイレベルな記録を出す選手がオリンピックに出たいと思うのは、自然なことです。
こういうことが話題になるのも、「僕の走りは、すべてを犠牲にする厳しい練習の結果だ」という彼の言葉通り、障がいを持ったアスリートの汗の結果だと思います。
健常者も、障がい者も、一緒に競い合えるようにするべきなのか
生身の身体の能力を超えてない証明書を、義足に求めるべきなのか
あなたならどう思いますか?
現地時間5日に行われた準決勝では、ピストリウス選手は8位で敗退となりました。
この後彼は1600メートルリレーにも出場し、月末から始まるパラリンピックにも出場するそうです。
新聞に載ってた彼の母の言葉が、とても印象的でした。
「オスカー、敗者とは一番最後にゴールする人のことではない。初めから出場することを諦めてしまう人のことを言うんだよ」
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