3年が過ぎて
2011年3月11日
あれから3年が経ったんですね。
皆さんはあの時、何処で何をしていましたか?
あなたの大切な人たちは、どうしていましたか?
わたしは、自宅からさほど遠くない職場でその瞬間を迎えました。
ビルの床が大きく横に揺れて、時々あるような地震とは違うって感じました。
小さい頃に新潟地震を経験していたので、慌てるとかはなかったんですが、それでもとりあえずしゃがみ込んで、じっとしていました。
その時、はっきりとは分からなかったんですが、でも、直感的に何かとんでもない地震だと感じたんです。
2〜3秒後には、携帯で周りの様子を動画に撮ってました。の絵や音も撮れてるので、残念ながらお見せ出来ませんが。
揺れがおさまってから、不思議とニュースとか見なかったんです。
なので、まさかこんなにも大きな地震で、しかも巨大な津波が襲ってきてるなんて、想像もしませんでした。
そのあと、わたしが職場で過ごしていた頃、東北の地では何万人もの人たちが津波に命を奪われていたんですね。
わたしが地震の大きさに気がついたのは、職場からの帰り、駅に向かってる途中のことでした。
通り沿いにある高層ビルの下に、ものすごい数のサラリーマン。
みんな地震で、一斉にビルの中のオフィスから避難してきたんですね。
本当にものすごい数でした。
その光景にビックリしながらも、駅まで歩いて行きました。
ところが、ほんとにところがなんです。
駅ビルの入り口にシャッターが下りてて、中に入れません。
周りには多勢の人が。
タクシー乗り場には、これでもかというくらい長い行列。
仕方がないので、何処かでコーヒーでも飲んで考えようとしました。
でもダメなんです。
何処のコーヒーショップも満席状態。
いえ、状態じゃなくて、満席なんです。
だいぶ待って、ようやく座ってコーヒー飲むことができました。
それでもまだ、地震の大きさとか、津波のこととか、全然分かりませんでした。
自分の周りでビルが倒れたとか、そういうことが無かったので、イマイチ深刻には考えなかったんでしょう。
その頃、わたしの職場は自宅から近かったので、とても運が良かったと思います。
お友だちの中には、東京都を歩いて横断して、夜中過ぎにやっと帰宅できた人もいます。
帰れた人はまだ良い方で、駅の階段なんかで夜を明かした人も多いんですね。
わたしは、30分くらい歩いて帰宅することができました。
今、わたしは都心の職場に通勤してますが、またこんなことがあったら、完全に帰宅難民です。
3年が過ぎて、人々が望む復興は全くと言って良いほど進んでいません。
オリンピックのことで、かき消されようとしてるみたい。
原発は、何事も無かったかのように再稼働されようとしています。
喉元過ぎれば熱さを忘れる
とか
人の噂も75日
とか言いますが、そんなことで良いわけはありません。
記憶を風化させないように、1人1人がしつこく、いつまでも言い続けなければいけない。
そう思います。
できる範囲の、できることで良いんです。
東日本大震災による被災状況
( 今日の新聞紙面から引用 )
死者
岩手県・・・・・4673人
宮城県・・・・・9537人
福島県・・・・・1607人
全国・・・・1万5884人
行方不明者
岩手県・・・・・1142人
宮城県・・・・・1280人
福島県・・・・・・207人
全国・・・・・・2633人
震災関連死
岩手県・・・・・・434人
宮城県・・・・・・879人
福島県・・・・・1660人
避難者数
岩手県・・・3万4847人
宮城県・・・8万9882人
福島県・・・8万5589人
全国・・・26万7419人
この記事へのコメントは終了しました。
コメント